京王沿線徒歩の旅2012~調布地下化前の見納め編・前編~
今日の1曲: クピドゥレビュー / 悠木碧
おはようございます。
おいちゃんの新曲OPがかわいすぎて生きるのが辛いXIAORINGです。
前回の日記以降ずっと更新できないまま1ヶ月以上も経ってしまいました…
前のが桜がなんとかって言ってたのが、今はもう5月も後半戦…
5月の天気ってすっごく爽やかで気持ちいい、1年の中でも特に過ごしやすい気候ですよね。
休日はせっかくこんないい季節に貴重な1日を無題するのはもったいないと思って、比較的出かけるように心がけています。
今年のゴールデンウィークは、
- M3
- 家電が届く
- たまこラブストーリー
- ムーンライト信州&あさまE5系で長野へ
- 大國魂神社 くらやみ祭
- 京王沿線徒歩の旅 府中~百草園
といったかんじでした。
そのうち少しずつ書いていきたいですが…
で、今日の日記ですが、ゴールデンウィークと言ったら毎年恒例の京王沿線徒歩の旅。
ですが、今年のを書く前に、そういえば2012年と2013年をまだ日記に書けてなかったので、2012年分から先に書いていこうと思います。
前後編の、今日は前編です。
後編はこちらからどうぞ▼
2012年は、柴崎から調布を通って京王多摩川と西調布までを歩きました。
2011までの京王沿線徒歩の旅はこちらからどうぞ▼
地下化前の調布駅地上時代の特集はこちらからどうぞ▼
京王沿線徒歩の旅2012は、柴崎~西調布/京王多摩川
いつも乗っている京王線の沿線を歩いてみる、というゴールデンウィーク恒例企画。
5年目となる2012年のテーマは「調布付近連続立体化事業」。
柴崎から調布を通って京王多摩川、再び調布に戻って西調布までを歩いてきました。
(路線図は 時刻表 |京王グループ より)
ちょうどこの年の夏に、京王線の柴崎駅付近~西調布駅付近と相模原線の調布駅~京王多摩川駅付近が地下化されることになっていました。
これによって、約3.7kmの区間が地下化、国領・布田・調布の3駅は地下駅に、18ヶ所の踏切が廃止となります。
(2012年8月19日~20日に地下化切り替えが行われて、現在は既に地下線になっています)
したがって、
・この区間で地上の線路を京王線が走っている姿と、
・調布・布田・国領の地上駅、
・そして18の踏切が、
2012年の8月19日以降はもう見れなくなってしまう!!
そんなわけで2012年のGWは、京王線が地下化してしまう全区間を歩き、
地下駅になってしまう3駅と、消滅してしまう全踏切をしっかりこの足で踏みしめ、そして調布の街中を京王線が走っている勇姿を、しっかりこの目に焼き付けておこう!!
と思いまして、この区間を歩くことにしました。
目次
- 前編 (この日記)
- 柴崎~国領
- 国領駅
- 国領~布田
- 布田駅
- 布田~調布
- 後編 (次回)
- 調布駅
- 調布~京王多摩川
- 京王多摩川駅
- 京王多摩川~調布
- 調布~西調布
- 西調布駅
柴崎駅
2012年は、柴崎駅からスタート。
柴崎と国領の間から地下化区間が始まるので、柴崎から国領方面に歩いて行きます。
柴崎駅の北口。
京王では数少なくなった、地上ホーム・地上駅舎の形態を持つ駅です。
柴崎は、京王線系統 (京王線・相模原線・高尾線・競馬場線・動物園線) 53駅中たった6駅しかない、各停しか停まらない駅です。
この辺の京王線は、住宅地のど真ん中を突っ切るように線路や駅があって、日常の空間ととても近いところに京王線がある…というところが個人的には好きなところです。
2014年1月クールのアニメ「ディーふらぐ!」の登場人物名が入っているということで、今年の3月に巡礼に来ています。
柴崎~国領
京王線に乗っていると、柴崎と国領の間で一瞬だけ視界が開けて川と緑が見えるところがあります。
それがここ、野川という川を渡るところ。
電車の中から見てても、住宅地の中から一瞬緑と水が見えてオアシスのようで、また外から撮影するのも、京王線と川と緑がきれいに見えて、僕のとても好きな場所です。
野川を渡る8000系。
続いて7000系。
直通先の、都営新宿線10-300形。
都営車両が来ると、グリーン同士の組み合わせになります。
野川を渡り終わったあと、この先から地下化区間が始まっていきます。
野川を渡って最初の踏切、柴崎4号踏切。
ここまでが地上区間です。
ちょうどこの踏切のあたりで、甲州街道から京王線の下をくぐって品川通りへ抜ける道路を工事しているようでした。
地下化区間のスタート地点
柴崎4号踏切から国領方面。
ちょうどこの場所、地面の色が変わっている場所が、地下化区間への切り替え地点です。
この部分を側道から。
奥に見えるタワーマンションのあるあたりが国領駅です。
工事区間を走る8000系。
ちょうどここから地下へと潜っていきます。
ここから地下化で消滅した踏切
さあ、いよいよここからが、地下化によって消滅してしまった踏切です。
この地下化で見納めとなる踏切、全18ヶ所をこれから紹介していきます。
まず最初の踏切、柴崎6号踏切。
柴崎6号踏切は、国領駅のホームの終端ギリギリのところにあります。
国領駅の地上ホームと共に、柴崎6号踏切もその役目を終えました。
国領駅
地下駅になった1つ目の駅、国領駅に到着!
地下化前は橋上仮駅舎になっていました。
地上時代の国領駅の改札。
地下化に伴って国領駅は新しい駅舎になったので、この改札口は今はもう残っていません。
南口の入口はこんなかんじでした。
今はこのへんに新しい駅の入口があります。
南口の駅前の様子。
こちらが北口の駅前。
先ほど見えていたタワーマンションはこれでした。
地上時代の最後の国領駅は、島式ホーム1面2線の駅でした。
もっと前は上りと下りが別々の相対式2面2線でしたが、地下化工事で駅舎が橋上仮駅舎になる課程で、線路の掛け替えとホームの変更が行われました。
上のは下り線の1番線で、下が上りの2番線。
この写真を撮った、この年の夏まで、新宿へ向かう電車が通っていたものでした。
そして、国領駅前の名物といえば、国領1号踏切!
京王線と狛江通りが交差するところで、連続して電車が来るときは車がよく渋滞になっていました。
この駅前の踏切を電車が通る姿は、もう二度と見ることはありません。
国領~布田
国領駅を過ぎて、引き続き布田駅へ歩きます。
続いての国領2号踏切は、先ほどの国領1号踏切からすぐ先、細い路地の途中にあります。
かつての国領2号踏切ですれ違う、快速 橋本行きと急行 新宿行き。
国領2号踏切からは隣の国領1号踏切が見えるほどの距離です。
地下化前の線路を走る準特急 北野行き (北野から各停 高尾山口行き) 。
地下化された区間、そしてダイヤ改定で準特急 北野行きという行き先はなくなったので、ダブルの意味で今はもう見れない組み合わせです。
国領2号踏切は、こんな路地の一角にある風景でした。
国領から布田へ行く途中、こういう畑になってるところもちらほら。
続いて、引き続き地下化で消滅した、国領6号踏切。
ここらへんは結構こういう路地が多くて、国領6号踏切も幅員の狭い踏切でした。
こういう路地の小さな踏切、個人的にはけっこう好きなんですけどね。
国領6号踏切を渡る各停 高尾山口行き。
ちょうど先頭車両付近に、踏切の名前が書かれた杭が見えますね。
線路沿いの道にはこんな小さな踏切も。
これが国領7号踏切。
大小様々な踏切があったんですね。
競馬場線のヘッドマークを付けた9000系に、偶然遭遇しました!
そして国領~布田間で廃止された踏切、最後の1つは、こちらの国領9号踏切。
柴崎6号と同じように、この国領9号踏切も布田駅のホームギリギリのところにありました。
踏切ギリギリのところに電車が停車しているというのも、なかなか乙なものでした。
布田駅
そして地下化区間の2駅目、布田駅に到着!
今の布田駅は、一部で京王美佐島駅
とも言われる、特徴的なホームドアの地下駅になりました。
布田の駅前にも踏切がありました。
こちらの布田1号踏切。
布田駅と布田1号踏切、この年の見納め同士のツーショット。
布田も国領と同様、地下化前は橋上仮駅舎でした。
布田~調布
まだまだ線路沿いを調布に向かって歩きます。
調布から布田に向かって行くところ、布田駅の手前に制限75km/hの標識がありました。
ちなみにこの区間は布田と国領のそれぞれにカーブがありますが、現在トンネルになったこの区間は85km/hぐらい速度で通過しているので、これらのカーブも新しいトンネルでは若干線形の改良がされていたのかもしれません。
ところで布田~調布の間の踏切は「布田1号」~「布田8号」となっていましたが、ここを歩いた2012年当時「布田1号」の次は「布田4号」でした。
つまり、もっと昔は「1号」と「4号」の間に「2号」と「3号」があったのではないか?…ということが考えられます。
布田~調布の間で見かけた、こういう細い路地が線路のところでぶった切られたような場所、もしかしたらその昔は、こういうところにも踏切が存在していたのかもしれません…
線路や道路の形は、時にその土地その街の刻んできた歴史を今に残すものでもあります。
今残された道の形から、こうして遙か昔の姿を想像してみるのも、なかなか好きです。
今回歩いたこの場所も、何年も経った後は何か建物が建ったり別な用地になっていたりするんだと思いますが、将来今とまったく違う姿になっても、そこに残された土地の形状から、そこには昔電車が走っていたんだっていう事実を、未来の我々にもしっかり伝えてくれるだろうと思っています。
調布~布田間の本線上の折り返し
調布駅の地下化直前レポートのときにも紹介しましたが、地下化前は調布止まりの電車が、調布~布田間の本線上で折り返し作業をしていました。
この日もちょうどここの本線上で折り返しをしている9000系に遭遇!
日本の鉄道は左側通行なので、上の写真では手前に向かって進んでくるはず (前照灯が点灯する) であるところを、尾灯が点灯している (進行方向が奥向き) 、つまり在線している線路と車両の進行方向が逆というところがポイントです。
ちなみに地下化された新しい調布駅では、上下線が2層に分かれていて (下りが地下2階・上りが地下3階) 同じ平面上にないため、この場所で折り返しができず、折り返しはつつじヶ丘で行われるようになりました。
本線上に停まっているのでゆっくり撮影できましたw
本線上の、何も変哲のないところにある停止位置目標。
これが調布の折り返し作業用の停止位置目標です。
「8」と書かれているのは、8両編成用。 (10両用はもうちょっと先の、この電車の先頭部分にある)
9000系8両+7000系2両を連結した10両編成の場合、連結部分がちょうどこの位置に来る (連結部分は一度車外に出ないと両方の車両を行き来できない) ので、車両移動用の足場があります。
京王線のこの辺の地上区間は、道路から線路までの間隔が非常に狭くて、手を伸ばせば届きそうなくらい道路までギリギリなところを準特急とかがガンガン飛ばしていく姿が、京王線ならではという感じがしてとても好きです。
続いて、布田4号踏切。
この先の調布駅は全種別が停車する上に、下りは急行/快速が着いた直後に準特急が到着、上りは逆に準特急が出た直後に急行/快速が発車するダイヤになっているので、電車が連続していて踏切の作動時間が長くなることもしばしば。
布田4号踏切で踏切待ちをしていたら、ちょうど通過した電車が、8000系の中でも魔改造編成と名高い8714Fでした!
この編成、高尾での土砂崩れ事故で10両目の先頭車 (クハ8714) が廃車になってしまいました。
それで新たに先頭車を用意する必要があったのですが、そこで先頭車を製造するのではなく、6両と4両の分割部分で4両目に入っていた先頭車 (クハ8814) を10両目に持って行き、代わりに4両目に中間車 (クハ8564) を製造して埋め合わせをするという荒技に出ました。
その結果、分割部分なのに片方は先頭車で片方は中間車…という異様な組み合わせになってしまったのです。
ここで踏切を渡って、夕焼けの照らす中、線路の南側の道を歩きます。
向こうにはもう調布駅の橋上仮駅舎が見えてますね。
中央に見えているのが、すごく小さいんですが、布田5号踏切。
ほとんど私道のような狭さの踏切です。
京王線の敷地ではないですが、大きなクレーンもありました。
ゆくゆくはこの辺もまた建物が建てられていくんでしょうね。
調布駅がもう少しというところにある、布田7号踏切。
本線上の渡り線があるのがちょうどこのあたりです。
そして布田~調布間の最後の踏切、布田8号踏切。
調布駅の1・2番線と3・4番線が分岐した内側に踏切があり、4線分を渡っています。
布田8号踏切は調布駅のホームのすぐ目の前。
地下化前の調布駅に並ぶ、急行 橋本行き・準特急 京王八王子行き・調布止まりの各停。
今となってはこの並びもすごく懐かしいかんじがします。
線路を渡って、同じ布田8号踏切を北側から。
通過している9000系が、各停 調布行きとなっていますが、これは調布止まりの電車が調布~布田間の本線上で折り返しをしようとしているところです。
このあたりの区間は非常に駅間が近く、布田~調布はわずか600mの距離しかありません。
(参考: 交通新聞社「京王線・井の頭線 時刻表 2013.2.22ダイヤ改定号」(2013) )
この布田~調布間、そのたった600mの間に実に5つもの踏切があったということになります。 (下図参照)
かなりの踏切密集地だったんですね。
(地下化直前で5つですが、最後のは布田「8号」ですので、元々はさらに多い8つもの踏切があったのかも…?)
ここを過ぎるともう調布駅です。
後編に続く
だいぶ長くなってきましたが、前編はここまで。
調布駅から先は、次回・後編に。
まだまだ続きます!
後編はこちら▼
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