京王沿線徒歩の旅2012~調布地下化前の見納め編・後編~
今日の1曲: Internet Bxxch (feat. YUCe') / DJ'TEKINA//SOMETHING
おはようございます。
毎週月曜日になったら先週までの仕事の記憶をなくしてしまいたいXIAORINGです。
春クールも折り返し地点を過ぎましたが、一週間フレンズ。は今期の中でも僕的にはイチオシだったりします。
その上、作品の舞台で出てくるのが、京王線沿線の聖蹟桜ヶ丘や南平!
ということで、5月の天気のいい休日に、聖地巡礼にも行ってきました。
この辺はまた別の日に日記にまとめようと思いますが…
天気がよくて穏やかな休日ってかんじの日はとてもいいですねえ。
そして最近のだんだん暑くなってきたあたりが、ああ、また今年も夏がやってくるんだなあ…って感じさせてくれます。
さて今回も、前回に引き続き、毎年ゴールデンウィーク恒例の「京王沿線徒歩の旅」シリーズ、2012年の柴崎~調布~京王多摩川/西調布を歩いたレポートです。
前後編の、今日は後編です。
今回は前回の続きですので、前編はこちらからどうぞ▼
▼2012年の概要 (前編の文章のコピペw)
いつも乗っている京王線の沿線を歩いてみる、というゴールデンウィーク恒例企画。
5年目となる2012年のテーマは「調布付近連続立体化事業」。
柴崎から調布を通って京王多摩川、再び調布に戻って西調布までを歩いてきました。
(路線図は 時刻表 |京王グループ より)
ちょうどこの年の夏に、京王線の柴崎駅付近~西調布駅付近と相模原線の調布駅~京王多摩川駅付近が地下化されることになっていました。
これによって、約3.7kmの区間が地下化、国領・布田・調布の3駅は地下駅に、18ヶ所の踏切が廃止となります。
(2012年8月19日~20日に地下化切り替えが行われて、現在は既に地下線になっています)
したがって、
・この区間で地上の線路を京王線が走っている姿と、
・調布・布田・国領の地上駅、
・そして18の踏切が、
2012年の8月19日以降はもう見れなくなってしまう!!
そんなわけで2012年のGWは、京王線が地下化してしまう全区間を歩き、
地下駅になってしまう3駅と、消滅してしまう全踏切をしっかりこの足で踏みしめ、そして調布の街中を京王線が走っている勇姿を、しっかりこの目に焼き付けておこう!!
と思いまして、この区間を歩くことにしました。
2011までの京王沿線徒歩の旅はこちらからどうぞ▼
地下化前の調布駅地上時代の特集はこちらからどうぞ▼
▼ここから本編
前編では柴崎~調布までを書きましたので、今日は調布から先、相模原線の京王多摩川までと、京王線の西調布までの区間を紹介します。
目次
- 前編 (前回)
- 柴崎~国領
- 国領駅
- 国領~布田
- 布田駅
- 布田~調布
- 後編 (この日記)
- 調布駅
- 調布~京王多摩川
- 京王多摩川駅
- 京王多摩川~調布
- 調布~西調布
- 西調布駅
- (おまけ) 地下化された区間の、地上線時代の映像
調布駅
前編では柴崎から歩き始めて、調布まで来ました。
そろそろ暗くなってきましたが…調布駅北口の駅前。
調布駅は以前は地下通路を通ってホームに上る形でしたが、地下化工事中の2008年9月から橋上仮駅舎になっていました。
(参考: 交通新聞社「トラベルMOOK 京王電鉄の世界」(2013) pp.70)
こういう感じの入口。
地下化前の調布駅の改札口。
このときは2階に改札がありましたが、現在の改札口は地下1階です。
地下化前日の最終電車を見送った後、最後の営業日を終えてシャッターが閉まる瞬間は、感動のシーンだったのではないでしょうか…
反対側へ行ってこちらは南口の駅前。
調布は京王線と相模原線が分岐する駅で、特急・準特急と急行・快速の接続もあり、京王の交通の要所です。
仙川に来る前、生まれてから25年間はずっと橋本にいたので、都内に行くときはよく調布で乗り換えしていて、調布の地上ホームは本当にとてもお世話になりました。
調布1号踏切
そして調布の名物といえばもう1つ、調布1号踏切。
調布駅の西側にある踏切なのですが、ちょうど京王線と相模原線が分岐する地点に踏切があり、そのため線路4本分それぞれの方向から次に電車がきて、踏切自体の長さも踏切の作動時間も長い、調布の名物踏切でした。
調布1号踏切から見た調布駅の構内。
手前が本線、右下から合流してきているのが相模原線の線路。
それがポイントを渡って、写真奥の調布駅の、左から4→3→2→1番線につながっています。
こうしてみると、地上時代の調布駅が平面交差で上下線がクロスしているのがよくわかりますね。
同じ場所から反対側を向いて、下り方面。
左にカーブしているのが相模原線の橋本方面、右に直線で伸びているのが本線の京王八王子方面。
相模原線のカーブはかなりの急カーブだということがわかります。
あと、踏切の真ん中に京王の施設への入口があるのも見えます。
京王線の数ある踏切の中でも、最も好きな踏切のひとつでした。
地下化前の調布駅、本線上の折り返し、調布1号踏切、については、こちらの日記で2回に分けて書いてますので、詳しくはこちらを。
調布~京王多摩川
ここから線路は京王線と相模原線に分岐。
地下化区間は京王線の調布~西調布の間までと、相模原線の調布~京王多摩川の間までそれぞれ続いています。
なので、まずは相模原線ルートで京王多摩川まで歩き、そのあと調布までまた戻って、京王線ルートで西調布まで歩くことにしました。
まず現れたのが、相模原線の地下化区間で廃止になる2つの踏切の1つ、相模原線調布1号踏切。
調布から分岐して90°曲がるカーブの途中にあります。
この付近にあった架線柱。
昭和62年から実に25年にわたって、京王線を支えてきたこの電柱も、これでその役目は終わりです。
カーブを曲がりきると線路は南向きになり、左側に見える調布市役所の裏手側を走っていきます。
品川通りまで線路沿いの道が続いています。
振り返って、調布駅方面。
北に向かう線路が東に急カーブしているのがわかります。
調布の手前で信号待ち中の8000系。
調布は平面交差だったので、2番線から京王八王子方面電車が出発する間は、橋本方面からの電車は手前のカーブで停止して信号待ちをしていました。
カーブの途中にある踏切を完全に塞いだ状態で、堂々と停車する姿は、地上時代の象徴的な光景でした。
引き続き京王多摩川へ向かって歩いて行くと、ここで交差するのが品川通り。
品川通りはもともと線路を地下でくぐっていましたが、今度は線路が地下になるので、仮の陸橋 (品川仮立体) になっていました。
陸橋の側道が線路に突き当たる部分から。
線路の反対側に向こう側の側道が見えます。
地下化される区間を走り抜ける電車をスローシャッターで。
2012年まで調布ではありふれた景色でした。
あたりもだいぶ暗くなってきましたが、ちなみに、ちょうどこの日はスーパームーンだったようで、月がとても綺麗に大きく見えました。
そして相模原線で廃止となるもう1つの踏切、相模原線調布6号踏切。
ちょうどトンネルの取付部、線路が地下へと潜っていくところにありました。
踏切の上を屋根のように覆う工事桁が見えますが、2012年8月16日の地下線切替では、一夜にして線路を一気に地上線から地下線に切り替えました。
この近くに京王多摩川変電所がありました。
この付近の電車線に電力を供給しています。
地下線切替地点で地下化区間が終わると、すぐに多摩川に向かって土地は下り坂になり、線路は一気に高架になります。
地下化された現在は、トンネルを抜けて地上に出るとすぐに高架に上って京王多摩川へ到着します。
京王多摩川駅
地下化区間を抜けて相模原線の最初の駅、京王多摩川駅に到着。
京王多摩川は駅名の通り、多摩川を渡る直前にあります。
駅の付近は高架になっていて、駅を出るとすぐに多摩川の鉄橋になります。
京王多摩川は区間急行・快速・各駅停車駅。
相模原線の種別は、通過駅がある特急・急行グループと、各駅に停車する区急・快速・各駅停車グループの、2グループに分かれますが、この駅は後者のグループの種別が停車します。
1年に1度、多摩川で開催される調布市花火大会の日だけ、特急が臨時停車します。
京王多摩川から調布へ折り返し
相模原線の地下化区間は先ほどのところまでですので、ここからまた調布まで引き返して、本線に戻ります。
完全に暗くなってしまってますが、地下化区間の終点。
先ほどの品川仮立体の写真にあった側道の、線路を挟んで反対側から。
路地の向こうに毎日当たり前のように電車が走る日常が、このときはまだありましたが、今は遠く地下から電車の音が聞こえるのみ、そこに京王線の走る姿を見ることはできません。
再び調布1号踏切
で、線路沿いを戻って、再びさっきの調布1号踏切に戻って来ました。
京王8000系と都営10-000形の同時進入!
3番線・4番線同時進入もまた調布駅の名シーンでした。
調布1号踏切を渡って、京王線の北側へ。
調布駅1番線を出発して、調布1号踏切を通過しながら相模原線へと向かう8000系を撮ったら、偶然にも例の8714Fでした!
京王八王子方面から調布駅に進入する電車に、到着番線を現時する進路表示器。 (正式な名前は知らないですが…)
相模原線からは3番線にしか入れない配線だったので、京王線系統は待避線側の4番線に入ることが定番になってました。
調布~西調布
しばらくはこの線路沿いの道を歩いて、西調布へ向かいます。
京王八王子方面からポイントで分岐して調布駅4番線に進入する際の「制限35km/h」の標識が見えます。
感覚的には京王線の駅の分岐器は40~45~50km/hぐらいが多いような気がするので、35っていうのは遅い方なのでは…?
途中の商店街には、こんな素敵な横断幕も。
ここに駅舎があったから調布銀座が誕生しました
ありがとう京王線
と書かれています。
この通り沿いに、京王小島町ビルという建物もありました。
線路沿いにあった、機器関係と思われるボックス。
京三製作所のロゴがあります。
調布~西調布間で廃止となる、調布3号踏切。
調布3号踏切のすぐ脇には、ここだけ他の架線柱と異なる、独特な架線柱があります。
なぜか、架線柱の下1/3ぐらいまでがコンクリート柱で、その上が鉄柱という2部構造。
コンクリート柱の部分には、こんな謎の目盛りが…
しかも10cm程度しかないのですが…いったい何に使ったんでしょう…?
数ある架線柱の中で、この1本だけがなぜか途中までコンクリートの構造になっていました。
なんでこの1本だけこうなってるんだろう…?
もしかしたら過去の何かがあった歴史を現代に残している、歴史の生き証人だったのかもしれませんが、僕には何を物語っているのか知ることはできませんでした。
そんな謎を残したまま、この意味深な架線柱はその役目を終えることとなってしまいました。
まだまだ線路沿いを歩いて、続いては調布4号踏切。
歩行者専用の小さな踏切。
こういう素朴な踏切、好きですねえ。
線路の向こうに、鶴川街道の鶴川陸橋が見えてきました。
鶴川街道が京王線を越える鶴川陸橋と、その側道にある、調布5号踏切。
鶴川陸橋の両側にある側道にそれぞれ1つずつ踏切があります。
地下化した現在はもはや陸橋で越える必要もないので、ゆくゆくはこの陸橋もろとも撤去されるんじゃないかと思います。
ちなみに調布~西調布の最後の踏切である、西調布駅前の踏切は「調布21号」となっています。
つまり調布~西調布間には、1.5kmの間に元々はなんと21ヶ所もの踏切があったことになります。
が、歩いた2012年当時、先ほどの「調布5号」の次は「調布11号」。
つまり、間の「調布6号」~「調布10号」が昔は存在していて、京王線の歴史のどこかのタイミングで撤去されたと想像できます。
歩いてる途中で見つけたこんな路地。
路地の向こうの白いバリケードが工事中の線路なのですが、もしかしたらこういう線路に突き当たってぶった切られている道路は、昔はここに踏切があったのかもしれません…
こうやって現在に残された形から、かつて昔の姿を想像するというのも、とても楽しいですね。
さあそしていよいよ、これが地下化で消滅となった18ヶ所の踏切の最後の1つ、調布11号踏切です。
調布11号踏切は、ちょうどトンネルの西調布側の出口部分にあります。
この線路敷の工事桁の下に、トンネルへ潜る坂道が掘られています。
地下化区間&廃止された踏切は以上
ということで、ここまでが地下化区間。
上の調布11号踏切までで、地下化に伴って廃止となった踏切、全18ヶ所でした。
で、徒歩の旅の方はこのまま京王線沿いをさらに歩いて、西調布駅まで歩きます。
トンネルから地上に出て最初の踏切、調布12号踏切。
この踏切はギリギリ廃止を免れました。
そして西調布へ向かってさらに歩くと、こんな細い路地にこんな小さな踏切が!!
調布16号踏切。
車1台分の幅よりも細いくらいの路地に踏切があります。
京王電鉄の全線に136ヶ所*ある踏切の中でも屈指の小ささ。
(*出典: 京王電鉄「安全・社会・環境報告書 2013 CSRレポート」(2013) pp.17)
調布1号のような大きな踏切もいいですが、こういう住宅街の隙間にひっそりと佇む小さな踏切も、いい味を出していてとても好きです。
西調布駅
そしてついに西調布駅に到着。
この駅で2012年の京王沿線徒歩の旅はゴール!
以前は、地上にある上下ホームを地下通路で行き来する、かつての京王線の駅の定番スタイルでしたが、2011年に現在の新しい橋上駅舎が完成して、このようにきれいで広々とした駅になりました。
というわけで、2012年は、柴崎から歩き始めて、途中調布から京王多摩川を経由して西調布まで、(調布~京王多摩川の往復を含めると、) のべ6駅間・営業キロでのべ6.1kmを歩きました。
(おまけ) 地下化された区間の、地上線時代の映像
今回歩いた、柴崎~調布~西調布/京王多摩川の地下化区間3.7km。
地下化前の地上線を走る電車からの景色を、見納めとなる前に映像に残しておこうと思って、前に撮影していました。
これらの映像はYouTubeに上げてます。
もう見ることができない、今となっては貴重な映像です。
(下り) つつじヶ丘~調布
(下り) 調布~京王稲田堤
(下り) つつじヶ丘~東府中
(上り) 京王稲田堤~調布
(上り) 調布~つつじヶ丘
調布駅西側・定点撮影
日記に載せきれなかった写真も含め、この日に撮ってきた写真は、こちらのページに大量に上げてあります。
以上!
前後編合わせて、ゴールデンウィーク中から書き始めてたんですが、なんだかなんだで全部書き終えるのに、ほとんど1ヶ月もかかってしまったという…
ちなみに今年2014年は、府中~百草園を歩きました。
が、今年の分を書く前に去年の西調布~府中を書かないといけないので、2014年分がアップできるのはいつになるか…
毎年恒例となっているこのシリーズ、来年のゴールデンウィークになったらまた京王線沿いを歩こうと思います。
前回も書きましたが、線路や道路の形は、時にその土地その街の刻んできた歴史を今に残すものでもあります。
今回地下化された区間の旧線跡も、やがて建物が建ったり別な用地になっていたりするでしょう。
ですが、何年何十年も経った後でも、残された土地の形が、かつてそこに京王線の電車が走っていたという歴史を、僕たちに思い出させてくれるものだろうと思います。
超絶長文でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。
ではでは。
前編はこちらからどうぞ▼
2011までの京王沿線徒歩の旅はこちらからどうぞ▼
地下化前の調布駅地上時代の特集はこちらからどうぞ▼